風日


*注意書き

 ・キリリク作品→何かの拍子で子供になってしまった王妃さま
 ・ロリータ王様注意




風日




毛色の余りにも違う、どうやら遥か遠い国から迎えたらしい王妃の存在が神々の間で常に話題に上っていた。
ある神は災いの元だと怒り嘆き、ある神は愛と喜びをもたらす者だと祝福の言葉を捧げた。
すでに婚儀を挙げ、正式な王妃と認められた者であれば致仕方あるまい、だが……
ある神が悪戯な笑みを浮かべ一人呟いた。


さあて、今度の王には如何な試練を与えてやろうかのう……










―――ひんやりと吹き付ける風が、天蓋から流れるようにドレープを描く紗を柔らかく揺らす。

その肌寒さに傍で眠る暖かく逞しい夫の胸へと無意識に体を寄せる白い肌を持つ娘。
「う……ん」
居心地の良い場所を探してうごめく娘に、浅い眠りから引き戻された王がそっと瞳を開く。

少し体を寄せてやると、漸く居心地の良い体勢を見つけたのだろう。
やがて満足そうに口角を上げて眠り続けるその表情(かお)に、視線が釘付けになった。


なんと……幼き少女の如き。
そのように無垢な表情(かお)で眠りおって。

何時ものように口付けで起こしてやろうかと、ふと悪戯心が湧き起こる。

だが、娘の余りにも無防備な面持ちが王にそれを思い留まらせた。
娘を穢してしまうような気さえした。
何故であろう……今宵はどうかしてしまったのかもしれぬ。

僅かに残念そうな顔をして眠る娘の額に、そっと唇を寄せる。
愛しそうに何度も何度もその黄金色の髪を梳きながら、いつしか王も再び意識を手放していった。







……どれほどの時間を眠りに費やしたのか。



王の目覚めの刻。
覚醒してゆく意識の中で、片方の腕に常にある重みが今朝は軽く感じられた。
いつものように、絡みつく腕を起こさぬようそっと引き離そうと持上げた瞬間。

……?

いつもと違う腕の細さ、掌の小ささに眉根を寄せる。


何故……手が小さい?

思考が暫し止まり、固まったようにゆっくりと傍で眠る妻の姿に視線を落とす。








「!!!??」

だ、誰だ!!?


こっ、これは……キャロルではない!!

こ、この娘は一体!!?



「う……ん」


突然にぱちくりと開いた瞳が固まる王の漆黒の瞳とぶつかる。

「あ、おはよう、メンフィス」



な、な、な、何ー!!?  何と申したーっ!!!?



慌てたようにザザザ、と敷布の上を後ずさる。


「???」

初めて見る夫の驚愕した顔と常に無い怯えたような表情を目にして、キャロルはキョトンとした顔でむくっと起き上がった。

「どうしたの?メンフィ―――あらっ?何、この声!えっ!?手も足もっ!ええっ!どう言うことーっ!!?」

キャロルは固まるメンフィスを置き去りにして寝台から飛び降りると、鏡の前に走り寄った。


「!? きゃーーーーーーーっっっ!!!!」


とっさに寝台を飛び出したメンフィスがキャロルを捕え口を塞ぐ。

「よせ!大声を出すな!」
「はっふぇ、むぅぇんふぃふ」
「黙れと申すに!!」

たちまち護衛の兵士がやって来て、寝室の扉をドンドンと叩いた。

「ファラオ!如何なされました!?ファラオ!失礼仕りますぞ!」
「何でもない!下がれー!」
「しかしファラオ、ただ今の悲鳴は!?」
「何でもないと申すに!良いから下がれ!誰も立ち入ってはならぬ、下がれ!」

扉の向こうでは護衛の兵士たちが顔を見合わせてどうしたものかと逡巡していた。
騒ぎを聞きつけてどうやらその数は膨れ上がるばかりである。

このままでは扉を蹴破られ侵入を許してしまう。
とにかくこの状況を人目に曝す訳には断じてゆかぬ。

「黙ってそこへ隠れておれ」

メンフィスは寝台脇の台の後ろにキャロルを押しやると、早足で入り口の扉に向った。

扉を少しだけ開いて顔を覗かせると、ただならぬ様子の衛兵達がこちらを覗くようにわらわらと蠢いていた。

「ファラオ!如何なされたのでございますか!」
「案ずるな、妃が少々大げさに騒いだだけだ。良いから人払いをいたせ。解っておろうな?妃との大事な時間を邪魔立てしようなどと……」
「めっ、滅相もございませぬ!そ、そういう事でございますれば」

ジロリと睨みを効かせるだけで震え上がる衛兵たちを締め出すと、メンフィスは扉を閉めて振り返った。


……わたしはまだ目覚めておらぬのだ……
これはきっと……夢だ……


頭の中も胸の裡も未だ混乱を極め、メンフィスは暫し動けずに立ち尽くしていた。

キャロル!
何と言うことだ。


ふと、夜中に垣間見たキャロルの幼い表情が思い出されて唖然とした。


これは一体……どのように理解すればいいのか。




キャロルが……


キャロルが本当に幼子になってしまうとは!







―――「キャロルさま、仰せの物をお持ちいたしました」
「あ、どうもありがとう。じゃあそこへお願い」
「畏まりました」



ある朝突然子供になってしまった王妃は、当面公務を外され、奥宮で隠されるように毎日を過ごしていた。


王宮内は混乱を極め、緘口令が敷かれたものの、ことの余りの荒唐無稽さにやがて下働きの者にまで話は漏れ伝わって行った。
このままでは噂が民に広がるのも時間の問題だろう。

「神の御業によるもの」であろう―――「神の娘」とされるキャロルに対し誰もがそう口にした。
神官達は「王妃が元の姿に戻るように」と神殿に篭り、祈りを捧げ続ける毎日だった。

そしてこのままでは世継の誕生がまたもや暫く望めないと大臣達が色めき立ち、長年廃止されていた後宮の復活を口々に上申されて来ることも王と王妃を追い詰めていた。
無論キャロルの耳には入らぬよう配慮がなされたが、誰に言われるでもなくキャロル自身がそれを誰よりも強く懸念していたのだった。





子供に戻ってしまった日、最初の日はただただ泣いて過ごした。

どうしてこんなことになってしまったの?
「わたし」は何処へ行ってしまったの?
わたしは一体誰なの?

わたしはこんな姿でも……メンフィスの妻でいられるの?


やがて二日経って少し心も落ち着いて来ると、今度は手当たりしだい書物を読み漁り始めた。

似たような神話がないか、同じような言い伝えの記述の文献がないかと、気を紛らわすように、とにかく泣いてばかりはいられないと必死でパピルスや粘土板を読み漁っていた。




メンフィスとはもう3日間会っていなかった。
食事も一緒に摂らず、当然夜はお互いの部屋で別々に眠った。


余りにも衝撃的な事実に、現実を受けとめられずに苦しんでおいでなのです、とナフテラは言った。
それから、お暇さえ許せば神殿に祈りを捧げていらっしゃる、とも。


それはそうだろう。
わたしだって認めたくない。こんなことが起こるなんて。

だけど、顔くらい出してくれてもいいじゃない。
わたし一人で毎日頑張ってるのに。
あなたに会いたいのに此処から出るわけにも行かないし、メンフィス、あなたが来てくれなきゃ、このまま……わたしたち……


手元の粘土板にポタリ、と雫が落ちた。

メンフィス……
会いたい……

あなたに会いたい!





「キャロル様、少しお休みにならなくてはいけませんよ?そのように昼もなく夜もなく書物ばかりお読みになっては」
「ナフテラ」
「まあ、どうしたのです?キャロル様、涙をお拭きになって下さいまし。此処では気も滅入りましょう?ささ、少し休憩をおとり下さらなくては」



ナフテラはキャロルを庭の東屋へと誘った。

その姿はまるで小さい娘の手を引く母親のようで、未だ混乱するばかりの王宮勤めの者たちにも知らず知らずのうちに微笑みを運ぶものだった。







――――「わあ、気持ちいい風」


小さな子供に戻ってしまってからは此処へ来たことがなかった。

ここはキャロルのお気に入りの場所で、時間があるとよくここでパピルスを読んだり午睡をしたりして過ごしたものだ。
目線が違うからなのか、大好きなこの場所がとても新鮮な場所に見えた。
いつも何となくさっと腰掛けていたお気に入りの寝椅子も、とても大きく感じられて何だかワクワクした。
足をブラブラさせながら、侍女が運んでくれた果汁を勢い良くごくごくと口にする。
余りにも子供らしく可愛らしい仕草に思わず笑みを浮かべてしまうナフテラや侍女達の視線に気付きもせず、キャロルはそのうちスヤスヤと寝椅子で眠り始めた。






誰?


おっきい手……

優しくってよく知ってる手のような気がするのに。


この手はパパ? パパなの?



ううーん違うな。




幸せそうに微笑んで眠るキャロルの髪を愛しそうに撫でる大きな手。




夢を見ておるのか?

一体どのような夢だ?


そこにわたしはいるのか?キャロル……




キャロル……

「そなた」は何処へ行ってしまったのだ?

わたしの「キャロル」はもう戻らぬのか?



唇を噛み締めて、髪を撫でるその手を止める。

相変わらず幸せそうな顔で眠る少女に切なさが込み上げた。


揺り起こして抱きしめてしまいたい。

だが自分の中の何かがそれを咎める。




眠れ。

今はただ眠るがよい。




大きな手の持ち主は少女の額にそうっと優しく口付けると、名残惜しそうに踵を返し歩き出した。

肩衣が風の姿を現すように大きく舞い踊った。



その時、そこに確かにあった筈の気配の消失に気付いたように、ぱちっと大きく開いた蒼い瞳が、思い焦がれた人の見覚えのある肩衣の裾を視界の端に捉えていた。


メンフィス!?

「メ―――」

寝椅子を飛び降り後を追いかける。


「メンフィス!」


「!」


少女の呼びかけに立ち止まる後姿。

首を横に向けたまま、振り返ることが出来ずに立ち尽くしていた。


「メンフィス!待って、行かないで!」

やっと来てくれたのに!
行かないで!

駆け出す少女の足音に漸くゆっくりと振り返ったその人は、そっと腰を屈めて片膝を着いた。

「メンフィス!」

愛しい人に飛び付いてその逞しい首根にぎゅっとしがみ付いていた。

「キャロル……キャロル!」
すっぽりと収まってしまうほどに小さなキャロルを力の限りメンフィスが抱きしめる。

「会いたかった!メンフィス」
「キャロル」

ふたりは時の経つのも忘れ、抱きしめ合ったまま風に吹かれていた。










―――ちゃぽん……ぱしゃっ!


東屋近くにある池の畔に腰掛け、池の中に足を浸して水掻きするようにしぶきをあげる。

こんな風にゆったりと幸せな気持ちで過ごしたのは何日ぶりだろう。


隣でメンフィスは同じように池に片足を浸しながら寝転がって空を眺めている。

キャロルの小さな左手とメンフィスの大きな右手が、しっかりと繋がっていた。


政務の合間の僅かなひと時を、こうして此処で何をするでもなくふたりで過ごすのが大好きだった。

優しく頬を撫でる風も、何処までも続いている青い空も、隣で寝転がるメンフィスも、全てが以前と変わらない愛しいものだと感じるのに。


ただわたしだけがあの時と違う。

どうしてこんなことになってしまったんだろう……



「……メンフィス」
「何だ」
「ビックリしたでしょう?わたしがこんな子供になってしまって」
「当たり前だ。かようなこと、誰が想像する」

ふと、あの朝の情景が思い出された。

「ふふっ、あの時のメンフィスの顔!」
「何だと?」

メンフィスは軽く身を起こすと、繋いだ腕の肘で自分を支えるようにしてキャロルへと向き直った。

「わたしの顔が何だと言うんだ」
「だって初めて見たもん、メンフィスのあんなビックリした顔! こーんなよ?」

そう言ってキャロルは大きく目を見張り、その時のメンフィスの顔をおどけるように真似てみせた。

「こやつ!」
「きゃっ!」
「……人の気も知らずに」

繋いだ手を引き寄せられてぎゅうっとメンフィスの腕に閉じ込められる。

「く、苦しい」
「……」

何も言えずただ抱きしめることしか出来ない。

わたしはわたしはどうすればよいのだ

キャロル!


「会いたかった……寂しかった……メンフィス、もうもうわたしのこと嫌いになっちゃったのかと思った」
「すまぬ……そなたを失ってしまったのかと……もうあの日々は戻らぬのかと、そなたに会うのが怖かった」

腕の中のキャロルのあまりの小ささに、これはやはり現実なのだと思い知らされる。

「そなたはわたしのあの『キャロル』なのか?」
「メンフィス……」
「いや……そなたであることに変わりはないのだな」

体を離し、メンフィスはじっとキャロルの瞳を見つめた。

「メンフィス、あのね……もしどうしても新しい妃を迎えなくちゃならないんだったら―――」
「―――その話はよい。そなたまでそのようなことを申すのか」
「だって」
「案ずるな。まだそなたが元に戻らぬと決まった訳でもなかろう」
「メンフィス」

くしゃっと柔らかい金色の髪に手を入れて微笑みを向けると、潤んだ瞳がメンフィスを見上げた。

「じゃあ、もしも……もしもわたしがこのままだったら……いつかもう一度、わたしをメンフィスの花嫁にしてくれる?」
「……キャロル」
「一番目じゃなくてもいいから」
「キャロル!」

何を言うのだ!
たとえそなたがこのままだとしても、迷うことなくそなたを、そなただけを妃とするに決まっているのに!

答えなど探すまでもなかったのだ。
わたしは何を途惑(まよ)っていた?
他の誰も要らぬ。
そなたしか要らぬ。

わたしはあの日誓ったのではなかったか?

未来永劫そなたを、そなただけを愛すると。

このような姿になったとて、その気持ちに何の偽りがあろうか。

キャロル、そなたは、わたしのキャロルだ。
わたしだけの。


再び腕の中にキャロルを閉じ込めながら胸の裡で呟いた。


「そなたは一体、今幾つなのであろうか」
「え?」
「年の頃は七つか……或いは八つか」
「多分……8歳か9歳くらいのわたしだと思うけど」
「ではあと4、5年待たねばならぬか」
「え?」
「この国の娘の適齢期というのがそれくらいだ。それまでに」

悪戯っぽく笑うとキャロルの瞳を覗き込む。

「それまでに、なあに?」
「このお転婆をうんと厳しく躾け直しておこうぞ」
「酷い!なあに?それ!」
「はは」

ぎゅうっと抱きしめて髪に口付ける。

「他に妃を娶るつもりなどない。たとえ姿を変えようとも齢(よわい)が違おうとも、そなたしか望まぬ。わたしの妻はそなただけだ。かつて誓った通り未来永劫、そなただけを愛している」
「メンフィス……」
「わたしには幼子と睦みあう趣味はないのだがな」
「?」
「相手は他でもないそなただ。これくらいは許されるであろう」


そう言ってメンフィスは、小さなキャロルの唇を軽く啄むように口付けた。


「……メンフィス……」
「何だ、足りぬと申すのか?」




……では、今一度だ……


……うん……




……今一度だ……


……うん……






……今一度だ……






並んで肩を寄せ合うように、いつまでも池の畔で佇むふたりの後姿に、王を呼び戻しに来た兵士達も思わず見惚れたように立ち尽くしていた。


それはまるで、親猫と生まれて間もない子猫が日向で寄り添う姿にも似て。






やがて悪戯に王の深い愛を試した神が、2日ほど後に少女を漸く元の姿に戻すのだが……




この時のふたりはまだそれを知らずに、夕刻前の優しい光の中に溶け込みながら、肩を寄せ合い続けていた。






ひとことメモ


 キリリク下さったねこのり様、その後お元気にしてらっしゃるでしょうか。
 この話を書いてたら、続きがばーっと浮かんだので「夢の終わり」を一気書き。
 今読むと、ほんとヒドイ滅茶苦茶な文章ですが、珍しく自分でも気に入ってるシリーズです。

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