夢の終わり − 風日 2−
*注意書き
・再びロリータ王様
・「風日」の続きなので、先にソチラを読んでね
夢の終わり − 風日 2−
――――「きゃーっ!」
「こら、暴れるな!」
「落っこちるー!」
今日も小さなお妃様は、王様とお庭で時を過ごす。
大好きな場所で、大好きな時間に、大好きな人と一緒に。
王様の右肩に抱えられた小さなお妃様は、大きな目を見開いて、落ちないように必死で王様の首にしがみ付く。
ふっと意地悪したくなって、王様の目を両手で隠してみた。
「な、何をする!やめぬか!」
「ふふっ……きゃー!」
「危ないではないか!やめよと申すに!」
「やだ!あっ!」
「キャロル!」
案の定、躓きかけたメンフィスの肩から落ちそうになったキャロルを、メンフィスの大きな手がしっかりと捕まえた。
「だからやめよと申したに!」
「ふひゃー」
「全く……」
ふっと、落ちないようにとメンフィスがとっさに捕まえた場所が、キャロルの胸の辺りであることにお互い気が付く。
「……えっち」
「な、何を申すか。まだなんにも……」
「なんにも、なに!?」
「それらしいものなど付いておらぬではないか」
「しっ、失礼ね!これからうんっと大きくなるんだから!」
「……ふっ」
「何よ?その『ふっ』って」
「それはそれは楽しみだな」
「もうー!こうしてやるー!」
「こら!やめよと申すに!」
会えなかった数日間を取り戻すかのように、暇さえ許せばふたりはずっと寄り添っては戯れた。
それは以前のように、見る者の頬を赤くさせてしまうような、或いはうっとりと見惚れてしまうような類のものではなかったのだが。
まるで親子のようにも見え、もしくは、お歳の離れた仲の良い兄妹のようでいらっしゃる。
そんな暖かい微笑ましさを誘う情景だった。
ただし、人目を忍ぶように、こっそりと唇が重なり合う瞬間を除いては。
たとえ子供の姿となってもキャロルへの愛は変わらない。
そう認めた瞬間からメンフィスは、以前にも増してこの娘が愛しくて堪らなくなった。
幼子と睦み会う趣味など全く持ち合わせていないというのに、手を繋いで抱きしめて、膝の上に乗せて頬を寄せて、ひと時も離したくない程に触れ合っていたかった。
兎にも角にも、この小さいキャロルが可愛くて仕方ないのだ。
キャロル本人だと解っているのに、まるでキャロルの産み落とした娘なのではないかと錯覚してしまいそうになる。
愚かな。
他の誰でもない、これはわたしのキャロルではないか。
わたしだけの。
それは以前とは少し違う類の愛情であったかもしれない。
自分でもよく解らぬまま、膝の上に抱いた少女にその日何度目か解らない口付けをそっと与えた。
金色の光の中での夢のようなひと時。
それは脆く儚い至福のひと時……
――――「メンフィス様は、もし王女様がお生まれになったあかつきには、それはそれはお可愛がりになられますわね」
「ええっ?」
「キャロルさまを可愛がられていらっしゃるようにきっと―――」
「―――これ、なんと不躾なことを!」
「あ! も、申し訳ありません!キャロル様ナフテラ様」
「そのような不躾、二度と許しませんよ。いいですね?」
「は、はい」
「もうよい、そなたは下がりなさい」
湯浴みの後、寝室に向うキャロルにうっかり漏らした侍女のひと言が、キャロルを現実に引き戻した。
珍しく厳しい物言いで侍女を叱るナフテラの様子に驚きつつも、やはり世継や後宮の問題が表宮殿では重大な案件になっているのだと今更ながらに心に突き刺さった。
そしてこの女官長が、わたしを気遣いこのことを耳に入れないようにと神経を尖らせ、常に心を砕いてくれているのだと改めてありがたく思った。
それ故に、自分が思う以上に事は重大なのだと、皮肉にも気付かされてしまったが。
わたしがこのまま子供のままで時が過ぎることは、それだけ世継の誕生が遅れるということなのだ。
キャロルをこのまま正妃に留めて置くと宣言してくれたメンフィスの気持ちが嬉しかった。
それ故に考えてもみなかったのだ。
わたしか世継か……
この国にとってどちらが優先されるべきであるかなど。
考えるまでも無く、答えは一目瞭然なのだ。
世継も未だなく、側室の一人もいない。
まして正妃の自分は、子供が望める年齢ではないのだ。
もし明日にでもメンフィスの身に何かあったなら―――
握った掌に爪が食い込む。
わたしはどうしたらいいのだろう。
もしこのまま子供のままなら……
やっぱり今すぐにでも、新しい妃なり側室なりがメンフィスには必要なのだろうか?
' 未来永劫、私の妻はそなただけだ '
' そなただけを愛している '
今も耳の中にこだまする声。
夢の時間は終わってしまった。
この先には辛い現実が待っている。
メンフィス……
わたしにはあなたしかいないのに……!
やがて小さな妃は泣き疲れて眠りに落ちた。
……大きな手の気配がする。
いつものように髪を撫でてくれる愛しい人の大きな手の。
でも目を開けた時全て消えてしまっていたら?
怖い……
怖い、怖い!
「何を泣いているのだ」
起こさないように小さく呟きながら雫を拭ってやる。
怖い夢でも見ているのか?
そんな夢などわたしが吸い取ってやろう。
瞼にそっと唇を当てると、キャロルがぴくり、と反応した。
ゆっくりと開く蒼い瞳には、昼間に見たような生気が全く宿っていなかった。
「如何した」
「怖い夢、見ちゃった……」
「安心いたせ。わたしが傍についていよう」
「メンフィス……でもいいの?」
「何だ?何ぞ無体でもせぬかと心配か?」
メンフィスは軽く笑ってキャロルの隣に体を横たえた。
「何も案ずるな。そなたはただそのままわたしの腕の中で笑っていてくれればよい」
「でも……」
「よいから眠れ」
そっと口付けて頬を撫でる。
夜こうして共に横たわることがこの身にとってどれだけ辛い事か。
求めてはならないと解っているのに、やはりそなたが愛しい。
メンフィスは、此処へ来たことを今更ながらに心の中で後悔し始めていた。
だがほんの数刻前、ナフテラから聞き及んだ事をそのままにしておけずに渡って来てしまった。
再びそなたが心に暗い影を落としてしまうのなど我慢ならぬ。
' その侍女は即刻手討ちにしてくれる '
' それだけはおやめ下さいませ、メンフィス様。キャロル様が嘆かれます故今はただお傍に '
解っておる。
だが許せぬ!
その侍女も。
わたしとキャロルの間を引き裂こうとする者も。
無力なわたし自身も。
ふと眠るキャロルを掻き抱きたい思いに突き動かされた。
そんなことをしてしまえばもう歯止めは利かないかもしれないというのに。
今のそなたにそんな無体なことなど出来る筈もないのに。
この場所で共に何度も味わった歓び。
甦る甘い記憶に体が悲鳴をあげそうになるのを何とか堪えると、無理やりに瞳を閉じた。
眠れ……
今はただ眠るがよい……
神よ……
どうか我らの幸せな時を奪い給うな……
胸の裡で祈りながら、いつしかメンフィスも闇の中に意識を手放していった
――――その夜も、ひんやりと吹き付ける風が、天蓋から流れるようにドレープを描く紗を柔らかく揺らした。
その肌寒さに、傍で眠る暖かく逞しい夫の胸へと無意識に体を寄せる、白い肌を持つ娘。
「う……ん」
居心地のよい場所を探してうごめく娘に、浅い眠りから引き戻された王が、そっと瞳を開く。
やがて居心地のよい場所を見つけ、口角を上げて眠る娘に視線が釘付けになった。
―――!
なんと……幼き少女の如き……
そのような無垢な顔で……
……ふっ……ふっ……
「……ふっ」
堪えきれずに短く笑うと、王は絡みつく白い腕をそっと引き離し、いつものように悪戯な口付けで妃を起こす為に唇を寄せた。
「……ん」
「起きよ、キャロル」
「んん?」
何度も何度も口付けては優しく体中を撫で擦る。
かつてよくそうしたように、ゆっくりと。
「や……メンフィス何するの」
「起きよと申すに、キャロル」
「あれ?」
メンフィスの瞳に映る自分の姿に驚き、飛び起きようとするキャロルを、逞しい大きな手が押さえ付けた。
「メ、メンフィス!わたしっ……ねえ、わたしっ!」
「うるさい、少し黙っておれ」
「んん」
無粋な言葉を唇で封じ込めた。
やがて逞しい首根に回そうとした自分の白い手を見て、嬉しさにぼんやりと視界が滲んだ。
何も言わず見詰め合うふたりの顔に笑みが戻る。
笑った瞬間すっと流れ出た雫を唇で吸い取り、そのまま娘の唇に重ねた。
「しょっぱい」
そう言って笑うキャロルの顔に、昼間抱きしめた筈の少女の姿が重なり、ふと切なさが込み上げた。
「あの小さきそなたには……もう会えぬのか」
「そうね……多分、もう会えない」
「あの少女も……愛しくて堪らなかったというのに」
「メンフィス……」
「この僅かな日々は……まこと美しく優然として幸せな日々であった。忘れはせぬ」
「うんわたしも忘れない」
再びふたりの顔に笑みが浮かぶ。
だがしかし。
こうして腕の中に閉じ込めて思う存分に愛することが出来るのは、このキャロルだけなのだ。
この唇も。
唇以外の何もかも。
夢の時間は終わった。
漸く目の前に待ち望んだ現実が待っている。
' いつかもう一度わたしをメンフィスの花嫁にしてくれる? '
「ふっ」
「?」
メンフィスは何か悪戯を思い付いた様な顔でニヤリと笑うと、キャロルの夜着の胸元をするりと解いた。
「産んでみぬか? そなたとよく似た娘を」
「メ、メン―――」
再び唇で無粋な声を封じ込める。
そして甦る甘い記憶を辿るように、ふたりのすべてを重ねていった。
翌日、一切の公務を放棄した王は、丸一日王妃の部屋から出てこなかったという。
宰相をはじめ、臣下達は皆、その政務処理に天手古舞であったらしいと後から聞いた。
皆で安堵の声を上げ、歓喜の中、夜には祝いの宴が繰り広げられたとも。
しかし王も王妃も宴に出ることはなく。
そして勿論、寝室からも出ることはなく。
無事その日に王妃の胎に子胤が宿ったかどうかは、悪戯な神が知るのみである。