Home Sweet Home


*注意書き

 ・ライアン兄さんとメンさんご対面。
 ・メンさん熱すぎ笑






Home Sweet Home



2.


リード家の広いサロン。

嵐のような再会劇の後、そこでお茶を飲みながら皆寛いでいた。
 
当然と言えば当然だが、見た事も無い調度品ばかりに囲まれて些か落ち着かぬものの、それらが総て一流の物ばかりなのだろうという事はメンフィスにも理解できるものであった。背筋を伸ばし、冷ややかな目で落ち着き払っているかのように見えても、その実、メンフィスは初めてのものだらけの現代で多少緊張しているようだ。
もちろん、それは隣にいるキャロルにしか解らないものではあったのだが。

「ママ、少しは落ち着いた?」
「ええ……ええ、そうね」
リード夫人は紅茶を口に運びながらキャロルの瞳を見つめた。
「……いいえ、やっぱり無理みたい。わたくしまだこんなに胸がどきどきしていますのよ」
胸に手を当て、少しはにかむようにメンフィスへと微笑むキャロルの母はまるで少女のようで、愛しい妃の姿にまたも重なり、メンフィスの口元を綻ばせた。

ふっと夫人はラルフの顔を見下ろし、感慨深そうに目を細めた。

「ねえキャロル、ママいまだに信じられないわ。あの時あなたのお腹にいたのは、このラルフだったのね」
「ええ、そうよ。ママ」 
キャロルが碧い目を細め、夫人の膝の上のラルフを見つめる。
祖母の膝の上で髪を梳かれながらラルフは落ち着かない様子で、不思議そうに部屋のあちこちをきょろきょろとしていた。


「ねえラルフ、おばあちゃまにあなたのこといっぱい教えてちょうだい。あなたは何処から来たのかしらね?
パパとママは優しくしてくれる? ママは……あなたのママは、パパとあなたと幸せに暮らしているのかしら」
「ぱぱと……まま?」
「とうさま、かあさまのことよ、ラルフ」
ああ、それなら、といった顔でラルフは祖母を見上げて元気良く話し出す。

「はい、おばあさま!とうさまとかあさまなら、とってもなかよしです!」
「まあ、そうなの」
夫人がニコニコと嬉しそうにラルフの話を聞いている。
うふふ、と照れるキャロルに、マリアが「やるじゃない」と言った顔でウィンクした。

「でもとうさま、かえってくるといつもぼくからかあさまをうばってしまわれるの。だからときどきぼく、とうさまのこときらいだけど」
むっ!とメンフィスが紅茶にむせて顔をしかめ、拳を口に当ててラルフを軽く睨む。
自己紹介での凛とした態度は何処へやら。王子の顔から開放されたラルフは、お構い無しで無邪気に話し続けた。

「でもほんとうはぼく、とうさまがだいすき!だってとうさま、おこるとものすごくこわいけど、ほんとはとってもやさしくて、とっても、とってもつよいんです、おばあさま! さらわれたかあさまを、てきこくのおうじからとりかえしたんだから!」
「ラルフ!」 
「えっ?」
夫人の顔が強張った。
慌てるキャロルの顔から、さーっと血の気が引いた。
「かあさま、なんかいもさらわれたけど、でもとうさまは、そのたびになんかいもかあさまをみつけてとりかえしたんだって。だからとうさまのおかげでぼくがうまれたんだって、ててぃがそういってた!」
あちゃー……と言うふうに、キャロルが額に手を当てた。
「―――ラルフ!止めぬか」
メンフィスが眉間に皺を寄せ低い声で叱る。
何故叱られたのか理解できず、ラルフはきょとん、と大人たちの顔を見回した。


「さ、浚われた? 何回もって……じゃあキャロル―――」
「―――わー!ち、違うのよママ!ラルフ!その話はしちゃダメってかあさまあれほど―――あっ!私ったら」
「じゃ、やっぱりあなた、誰かに浚われていなくなっていたのね!?」
「いや、あのっ、えっと―――」
「―――今までどこにいたんだ?エジプト人が良く着てるカフタンみたいな服装だけど、まさかエジプト国内にいたのか?」
「こ、国内……? えっと、いや、ここじゃなくて―――あっ!」
慌てて口を押さえるキャロル。
「ここじゃないって、じゃあどこなんだ!? まさか危険な所に暮らしてるなんて言わないでくれよ!?」
「わー!ちが……ちが―――」
「―――だってお前、前に大怪我して帰ってきたじゃないか。中東の危険な地域に住んでるとしたら気が気じゃないよ」
「キャロル!そうなの?危ない場所に住んでるの?」
「あのっ……」
まずいわ、ママたち勘違いしてる! でも本当のこととても言えるわけないし。
どうしたものかとキャロルが頭を抱えた、その時だった。

「キャロルー! どういうことだー!?」
怒声が響き、部屋にいた全員が声の方へ振り向いた。


そこには、真っ青な顔で立ち尽くすライアンの姿があった。


メンフィスの顔に一瞬で険が走る。

「ライアン兄さん!」
「キャロル! お前!?」
ライアンは立ち上がったキャロルの腕を掴むと、その腕にぎゅっと抱きしめた。
「どれだけ探したと思ってるんだ! そんな……そんな危険なところにいたのか!? キャロル!」
「兄さん」

ライアンはキャロルの瞳を覗き込むと、恐ろしい顔でメンフィスの胸座に掴みかかった。
「貴様!貴様か!キャロルを奪った奴は!」 
「兄さんっ!」
「ライアン!やめなさい!」
キャロルと夫人が同時に叫ぶ。
「貴様が!大事な妹を連れ去ったのか!? 妹をあんな危険な目に合せたのか!?」
ライアンの脳裏に、肩に瀕死の大怪我をして戻ってきたあの日のキャロルと、以前炎の中に見えた、違う男の腕の中で助けを求めていたキャロルとが浮かんだ。
あの炎の中に見えた男とは違うようだが、しかし―――

「何と無礼な!この手を放されよ」
「!?」
「手を放されよと申したのだ、ライアン殿」

怒りを滲ませた威厳ある声、凄みのある黒曜石のような鋭い目に一瞬怯む。  
その隙にメンフィスがライアンの腕を乱暴に振り解いた。
「兄さんやめて!」
キャロルが二人の間に割って入り、一触即発の只ならぬ空気に他の全員が凍りつく。
「メンフィスお願い、約束した通り―――」
「―――解っておる!」
今にも爆発しそうなメンフィスはギリリ、と唇を噛みながらも、キャロルを下がらせると目を閉じて大きく息を吐き、今一度ライアンに向き直った。

「我はキャロルの夫、メンフィスと申す。見知り於かれて下さるよう……兄上……殿」
「なっ!?」
「ライアン!落ち着きなさい!」
「母さんは黙ってて下さい!夫のメンフィスだと?夫だと?笑わせるな!貴様に兄などと呼ばれる筋合いはない!」
「何っ!?」
「僕は許さない!絶対に許さないぞ、キャロル!」
「兄さん!」
「ふん!そなたの許しなど請うまでもない!すでにキャロルは神の祝福受けし我が妻ぞ!限りなく深い愛を与え、私の許で何不自由なく幸せに暮らしておるわ!」
「メンフィスやめて!怒らないで!」
「ええい、放せ!そなたが為にこの私が!心押さえこのような無礼に我慢しておると言うに!」 
「メンフィス!兄さんも!落ち着いてちょうだい、お願い、お願いよ」

激昂する二人に泣きながら割って入り懇願するキャロルに、二人の男は憮然とした表情で腕を下ろした。
恐ろしい剣幕にロディの腕の中でジュリアが泣き出し、マリアがジュリアを抱き抱えて部屋を出て行く。
見かねたばあやがラルフを連れて行こうとしたが、ラルフは頭(かぶり)を振って祖母の首にしがみ付いた。

キャロルは怒りに震えるメンフィスの腕を取り、自分の腕と絡めると、ライアンを見つめた。
「お願い兄さん、聞いて。私ね、うまく説明できないけど……とっても、とっても不思議な力に導かれてこの人にめぐり合って、愛し合ったの。心から愛し合ってこのメンフィスと結婚して、この子を授かって……今は遠い処でとっても幸せに暮らしているの」

キャロルの視線の先を目で追うライアン。
母の膝の上で自分を睨み付け見上げる幼い少年が目に飛び込んでくる。
キャロルの傍で尊大な態度を取るこの男と同じ髪の色、同じ褐色の肌、そしてキャロルと同じ碧い瞳の少年。
子供ながらに眼光鋭く自分を睨みつけるその碧さの中に、父であろう男の黒い瞳と同じものを見つけ、ライアンはたじろいだ。

「……あの時の子か?」
「そうよ。あの時の」
「……アフマドは……知っているのか?」
「いいえ……いいえ、もちろん知らないわ」
「間違いなく……その男の子供なのか?」
「何たる無礼な!」

その言葉にメンフィスがライアンに飛び掛りそうになるのを必死にキャロルが止めた。
アフマドの子ではなかったのだな?という確認の意味の質問だったのだが、メンフィスがそれを知るはずも無く、再びメンフィスの頭に血が上ったのだった。

「無礼?無礼だと?君はあの時キャロルがどんな状態でここへ帰って来たか知ってるのか?幸せだったというのなら何故キャロルは……何故子供を宿しながらも君を残し一人ここへ帰って来た?何故迎えにも来ず、子供の父親だと名乗りもせず!? 妹は記憶を失う程に傷ついて帰って来たんだ!幸せな顔であの時帰ってきたわけじゃない」

メンフィスは言葉を失い、瞠目した。

思い出すだけで体が震える、あの日の恐怖。

それまでにも何度もナイルに消えては再び戻ってきた愛しい娘、愛しいわが妃。
だがあの時は知らぬ謀略に巻き込まれたとは言え、己の態度に不信を抱き、キャロルの意思でナイルに帰って行ったと聞かされ、臣下を責め、画策せしめた大神官を成敗せんと責め、そして誰より何より浅はかであった己を責めたあの日。
何故にキャロルの涙の訳を聞かなかったのかと、己の気の短さ、あまりの配慮のなさに悔やんでも悔やんでもなお溢れ続けた自責の念。

その一方で、何故に私を信じずそのような戯言の方を信じたのだと、何故に私の許へ帰らぬのだと、キャロルを責めては後々そんな己を嫌悪したりもした。
帰らぬ妃を幾日も幾日も祈り待ち続け、一人寝の寒々しさに眠れぬ幾つもの夜。
命よりも、その心が帰らぬことこそが何よりも怖かったあの日々。
本当に、今度こそ本当にそなたを失ったのかもしれぬと暗闇の中を彷徨い続けた己の心。

だが。

キャロルは帰って来た。再び己の腕の中へ。
その折れそうなほどに華奢な体に聖なる小さな命を宿して。

「……確かにあの時、思いもよらぬ大きな誤解が生じ、私に不信を抱いたキャロルが母上殿の許へ帰った事は否めぬ事実。私の見知らぬ処で大きな黒い影が蠢き、キャロルを襲った。また私の配慮が足りぬ故の悲劇であったことは認めよう。だが―――」

そこまで言うとメンフィスはキャロルの肩を抱き寄せ、ライアンの目をしっかりと見据えた。

「それを乗り越え我らはより強い絆で結ばれた。私はキャロルを、我が妻を、この命を賭け心の底から愛している。我等は神の御前(みまえ)にて未来永劫共に生きると誓い合ったのだ。私は二度とキャロルをこの腕から手放すつもりは無い」
「何だって?」
「この度はこのキャロルが母上殿恋しさの余り、深く心痛めた故、共に帰郷致した所存。
総てはこの愛しき妻の為、可愛い子の為、母上殿の御為。母上殿に我らの宝子(たからご)をどうしても会わせたいとの切なる願いに応えたものだ。このようにそなたと言い争う為ではない。……ライアン殿、ここへおわす皆方よ……どうか許されよ」
幾分冷静さを取り戻し、メンフィスは胸の前に手を当てて頭を垂れた。

メンフィスの醸し出す風格と威厳に、さすガのライアンも圧倒され言葉を失った。

「……メンフィスさん……信じていいのですね? 娘を……キャロルを本当に愛して下さってますのね?」
「母さん」
「ママ」
ライアンとロディが同時に母へと振り返る。

「おお……なんとすれば信じていただけましょうか」

メンフィスはリード夫人の前に跪き、再び胸に手を当てた。

「神に誓って、この命賭けて誓いまする。キャロルはもはや我が命よりも尊い存在。
私は未来永劫、この娘を、このキャロルだけを愛し抜き、いかなる困難からも守り抜いて見せましょう。
この娘の為ならば我が身を引き換えにもいたしましょう。
もはや我らを引き離すものは何もない。たとえそれが神であっても、私は決してこの腕からキャロルを離しはいたしますまい。どうか……お許し下されよ母上殿。それ程にこのキャロルを愛しておりまする」
夫人の手を取り、再びその白い甲に唇を落とすメンフィス。

キャロルもメンフィスの横に跪き、祈りを捧げるように指を組んだ。
「ママ、ライアン兄さん、ロディ兄さん……お願いよ。私……もうここには帰らない。この人を、メンフィスを愛してしまったの。彼なしではもう、生きて行けないの。私の居場所はこの人の傍、私はメンフィスと出会うために生まれたの。きっとそういう運命だったの」

そう……運命だった。
運命が私を古代へ導き、メンフィスの許へと誘(いざな)った。
きっと運命が私を。


暫し沈黙が流れた。


「……ラルフ、あなたの言う通りね。パパとママはとっても愛し合っているのね。おばあちゃま……とっても嬉しいわ」
「ママ!」
「母さん!何を」

夫人は涙を拭うと、膝の上のラルフの頬に口付けてぎゅっと抱きしめた。
「あなたに会えたこと……今日のこと……おばあちゃまね、きっと一生忘れないわ」
「ママ……」
夫人はメンフィスの手を取り、キャロルの手に重ねると、二人の目を交互に見つめた。

「キャロル、あなたはこんなにも……こんなにも深く強く愛されているのよ。ママはそれがとっても嬉しいわ。
一人の人からこんなにも愛されるあなたを、ママは誇りに思います、キャロル。だから……たとえもう二度とあなたに会えなくても―――」
「―――母さん!何を言うんだ!」
「いいえ、いいえ、ライアン。キャロルはきっと、命を懸けてここへ来たのよ。二度ともう帰らない覚悟を決めて。そうでしょう?キャロル」
「ママ……」
ママは解っているのだろうか。説明のつかない「遠い」場所に私が暮らしていると。

「ねえ、メンフィスさん。あなたが私の娘をこんなにも深く愛して下さったことに、本当に感謝します。
この子を、この可愛いラルフを私に会わせて下さった事にも。あなたのその強い愛があれば、もう何も心配いらないわね。ありがとう……本当にありがとう。娘をどうか……幸せに」
「我が命の、魂の総てをかけて誓いまする」
再び夫人の手を取りメンフィスは口付けた。

「キャロル、あなたがどんなに遠い処に行こうと……あなたにもう二度と会えなくても、ママは信じてるわ。
あなたがこの方と、この子と幸せに暮らしてるって。そう信じられるから、きっとママはもう……前を向いて、悲しまないで生きていける」
「ママ!」

母と娘は抱きしめ合い、声を上げて泣いた。
ロディがそっと二人の肩に触れ、抱擁の輪に加わる。

「ラルフ」
メンフィスは大人たちの中で今にも泣き出しそうなラルフを抱き上げ、自分の腕の中に抱きしめた。

ふっと気が付くと、涙を流しながらロディが自分に手を差し伸べていた。
「ロディ殿」
「キャロルを……妹をよろしく頼みます。こんなにキャロルを愛してくれているあなたになら、僕はもう何も言うまい」


メンフィスは何も言わず、感謝の意を湛えた黒曜石の瞳で答え、ロディの手をぎゅっと握り返した。
「ラルフ、僕とも仲良くしてくれるかい?」
ロディがラルフの瞳を優しく覗き込み、小さな手を取った。
「僕はロディ。君の伯父さんだよ。よろしく、ラルフ」
「う、うん……よろしく」

戸惑いながらもロディと握手をするラルフを微笑み見つめると、意を決してメンフィスは、未だ立ち尽くすライアンの前に再び対峙した。
何も言わずじっと視線をぶつけ合う二人。


ライアン……キャロルの心の奥深くにいつも、いつまでも居座る憎い恋敵!
ずっとそう思ってきた。 
だが。
今のメンフィスになら解る。
己が我が子に抱く愛情、父に抱いていた愛情、今は疎遠になってしまったが、大切な存在だった姉への愛情。純粋な家族への思い。
それらの思いと何が違ったと言うのだろう。同じ思いではないのか?

私の国では兄妹での結婚など有り得ない、それは許されていないし、罪深い事なのだと、激昂する己に向かって何時の日かキャロルが切々と訴えたことがあった。
聞く耳も持たずに跳ね除けた私を悲しそうに見上げ、泣きながら部屋へ走り去る後姿を苦い思いで見送った日を覚えている。

おそらくは心のどこかでキャロルの言うことは理解していたのだ。
だが、認めるのが怖かった。私の事だけを考えて欲しかった。
たとえ家族であろうと、他の男の名を口にするなど許さぬと、兄のことを思うなど許さぬと、そう言わねばそなたの心が私から離れていきそうで怖かったのだ。
私よりもこの男を、この家族を選び、再び私の許から消えてしまいそうで、ただ恐ろしかっただけなのだ。

だが私はもう、恐れはしない。
二度と愛しいそなたをこの手から離しはしない。
だから私は、キャロル、そなたと此処へ来たのだ。 
そなたの為に、そなたの愛する家族の為に。
そなたと共に命を懸けて。


やがて沈黙を打ち破るかのように、すっとメンフィスがライアンに手を差し出した。
「! メンフィス!」
メンフィス、解ってくれたの? 兄さんを受け入れてくれるの?
信じられない思いでキャロルは固唾を呑んだ。
兄さんは? メンフィスを……私達を認めてくれるの? 兄さん!

その場の全員が二人へと視線を注ぐ。


やがて……やがてゆっくりと、震えながら、ライアンの手がその手に重なった。

「……覚えておいてほしい。僕たちは、キャロルの幸せを、ただそれだけを願っている。これまでも、これからもずっとだ。もしもこの先、また君がキャロルを苦しめ泣かせるようなことがあれば二度と容赦はしない。君を殺してもどんなことをしても必ず妹をここへ連れ戻す!」

もはや連れ戻す術など無いに違いないと心の底では解っていた。
だがその気持ちに嘘はない。だからそう口にせずにはいられなかった。
奥歯を噛み締めながら、ライアンはメンフィスの手を力の限りぎゅっと握り返した。


「……約束いたそう。この身にかえても、必ずや!」
メンフィスが負けじとライアンの手を力強く握り返す。

この手ならば、この逞しい手ならばキャロル、もう僕がお前を守ってやらなくても、お前はきっと……
きっと、幸せだろう。


そのお互いの手の力に、やがて二人の男は、戦った者同士だけが得ることのできる絆のような、共鳴しあう何かを感じ取った。

「―――必ずや守ってみせよう。だが……」
メンフィスはキャロルへと視線を向けると僅かに目を細めた。

「実はそなたの妹君はまこと手の付けられぬお転婆で困っておる。母の身になりながらも私の目をすり抜け、あちらこちらと少しも落ち着かぬ故、守りたくても守れぬ時も有るではないかと気が気でならぬ。今一度、厳しく躾け直しては頂けますまいか?兄上殿」
思いもよらぬメンフィスの言葉に唖然としながらも、思い当たるふしのあるライアンは思わず破顔した。

「メ、メンフィス!」
キャロルは慌てて立ち上がるとメンフィスの腕に飛び込み、メンフィスの腕の中で暴れた。
「ひどい!メンフィスったら!もう」
思わぬメンフィスの機転ある言葉に、張り詰めていた場が和んだ瞬間だった。

「はっはっは!何だ、どうした?違うと申すか?キャロルよ」
メンフィスは声高らかに笑い、キャロルの腕を押さえ込むと、やがて愛しそうにその碧い瞳を覗き込んだ。

「さあ、キャロルよ」
メンフィスはキャロルに微笑むと、キャロルの手を取り、ライアンへと誘(いざな)った。
「メンフィス」
何も言わずメンフィスは頷く。

「兄さん」
「キャロル!」
キャロルを力いっぱい抱きしめ、ライアンはその髪に口付けるとそっと撫でた。
「本当に幸せなんだね?キャロル。信じていいんだね?」
「ええ……ええ、兄さん。私、とても幸せよ」
「また僕らを置いて行ってしまうのか? もう二度と……戻って来ないと言うのか?」
「許して……私……メンフィスを愛してしまったの。メンフィスと生きていきたいの。もう戻って来られないとしても」

ライアンの脳裏にまたもや以前のキャロルが浮かび上がる。
”兄さん信じて。わたし、忘れてしまっていても、絶対絶対、兄さんやママやみんなに迷惑かけるような人を愛してはいないと思うの”
記憶のないまま妊娠の事実を知ったお前は、あの日涙ながらに僕にそう訴えた。
無くしたはずの記憶の奥に、このメンフィスと言う男への愛だけは消えずにいたと言うのか?
このメンフィスから受けた愛の記憶だけは消えずに、その心の奥底へ?
涙ながらにきっぱりと、”メンフィスと生きていきたい”―――そう告げるキャロルの姿は神々しくさえあった。

その姿に、悲しみとも諦めの気持ちとも憤りとも無縁の、純粋に愛しい妹の幸せを祈る気持ちがライアンの心に湧き上がった。
不思議なことに、その感情はとても温かく静かで、何より久しく感じることの無かった優しさに満ちているような気がした。

「……解ったよ。お前が愛する者の傍で幸せに暮らしていると言うなら―――」
ライアンはキャロルから目を上げ、キャロルの背中の向こうに佇む黒曜石のような瞳をじっと見つめた。

「―――祝福しよう。君達を」
「兄さん」
「……ライアン殿」

ライアンの言葉にリード夫人が、キャロルが声をあげて泣いた。
少し離れた場所で、マリアとばあやも泣きながら肩を抱き合って3人を見つめていた。
周り中が泣き出し、不思議そうに大人たちを見回すラルフだったが、ふと自分を見つめるライアンの視線に気が付くと、途端に険しい顔でライアンを睨み上げた。

「さあキャロル、僕にもこのおチビちゃんを紹介してくれないか?さっきからずっと僕を睨みつけておっかないったらないよ」
「まあ!」 
思わず泣き笑いになり、キャロルはラルフを抱き上げてライアンの前に向かせた。
「さあ、仲直りしよう。僕はライアン。君の伯父で、君のママの兄だ」
そう言ってラルフへと手を差し出した。
「……」
じっと睨みつけたまま口を固く結ぶラルフ。
「ちゃんと応えよ、ラルフ!」
躾けに厳しいメンフィスの叱責が飛ぶと、緊張の糸が切れたように急に泣きそうな顔をしてキャロルに抱きついた。
「どうしたの?ラルフ」
「ん? 僕はちゃんと名を名乗ったぞ? 男の子が泣いちゃ格好がつかないぞ。さあ、どうした? おチビちゃん」
「―――!」

その言葉にラルフは泣きそうな顔をぐっと堪え、乱暴にライアンの手を取った。
「わが名はラルフっ!よわい4つにござるっ!いちどしかいわぬゆえ、よくおぼえておれっ!
それから、にどと、にどとチビなどともうすなーーっ!」
「!!」
その場にいた全員が目を丸くし、この可愛らしくも勇ましい剣幕にやがて吹き出した。
……ただ一人、この王子の父を除いて。

「くく……これはこれは失礼いたした、ラルフ殿」
「ふん!わかればよい!こののちはきをつけよ!」
「これは手厳しいな。はっはっは」
ライアンは笑いながら、また自分を睨みつけるラルフの髪をくしゃっと撫でた。

「メ、メンフィス」
「……申すな」
なんと……なんと我に似て……いや、もしや……この父を真似ておるのか?
眉間に皺寄せ目を伏せるメンフィスを、くくっと可笑しそうにキャロルは見つめた。
いつも素直で聞きわけのよい子であったはずのラルフの、まさにメンフィスから受け継がれた資質が現れた瞬間であった。

ああ、やっぱりあなたの血を引く子だわ。
こんなに小さいのに、こんなに尊大で誇り高くて。
兄さん、ごめんね。やっとメンフィスと解り合えたと思ったら、今度はこの子!

あなたは本当にとうさまそっくりね。
キャロルは心底可笑しそうにラルフを見つめ、頬を寄せ口付けた。
そして傍らのメンフィスの肩に頬を寄せる。

「ありがとう……ありがとうメンフィス。本当に感謝してる」
「礼か?礼ならば後々、誰もいなくなってからでも」
「!」
う、嫌な予感……
ハッとして、キャロルは慌ててメンフィスを見上げた。

「いや、よい。今ここで受けようぞ」
「ええっ!?」
「覚悟いたせ」
「メン――!? んんっ!」

メンフィスの唇がさらっとキャロルの唇を奪う。

感嘆の口笛を吹くロディにつられ、いつの間にか家族が、みんなが口々に祝福の言葉と歓声を送る。


「―――確かそなたの国では婚儀の際、神の御前にて口付けで永久(とこしえ)の誓いを立てると申したな」
悪戯を思いついたようにキャロルの耳元で囁く。
「メ、メンフィス?何を―――」
「―――母上殿、この場にて永久(とこしえ)の誓いの儀式をさせていただきたい」
「ぎ、儀式?」
ひっ…と引きつるキャロル。
「どうぞ何なりと」
興の乗ったメンフィスに合せるように、笑いながら大袈裟に胸へ手を当てリード夫人が傅く。

夫人の言葉にメンフィスはキャロルの腕からラルフを抱き上げると、ライアンの腕に抱かせた。

「……そなたは見ずともよい」
そう言ってライアンの手を取り、ラルフの目を覆わせる。



そして、ひときわ高い歓声が沸き揚がる中、メンフィスはしっかとキャロルを抱き上げると、その愛らしい唇に熱く口付けたのだった。




―――「もうー!とうさまーっ!」

小さいライバルからの抗議に、また大きな歓声があがった。





       おしまい





ひとことメモ


 ひゃー!お粗末様でした(滝汗)
 ありえない設定ですが、ライアン兄やんが許してくれるといいなあ、と思って書きました。
 あと、割とそれまで大人しく良い子に見えていたラルフ君ですが、やはり獅子の子は獅子(笑)