王子への贈り物


*注意書き

 ・原作で喪ってしまった子供→無事に生まれた設定
 ・髪飾り=世継ぎの王子の証→原作由来なので未確認
 ・でもタヒさんが↑そう言ってた






王子への贈り物


いつものように一日の政務を終え、メンフィスは愛しい妃とわが子の待つ王妃の宮殿に向かっていた。
手には黄金の小さい箱の様な物を持っている。

「ファラオがおいでです」
「とうさまー!」
扉が開けきらぬうちに父親の元へ駆けていく姿に目を細めつつ、キャロルはやんちゃ盛りの我が子が転びはしないかと、はらはらと立ち上がり後を追った。
「まあ、ラルフさま!」
数人の女官とナフテラ女官長も目を細め、王子の行く先を目で追う。

「おお!ラルフよ、良い子にしておったか? ん?」
ファラオとして家臣の前では決して見せることのない、慈愛に満ちた笑みを湛えながら、メンフィスは幼い我が子を軽々と抱き上げ、その愛くるしい頬の窪みに、髪に口付けた。
「お帰りなさい、メンフィス」
いつの間にか側に佇み優しい笑みを浮かべている愛しい妻。その美しく波打つ黄金の髪を抱き寄せ、そっと唇を寄せる。

「今日は早かったのね」
「そうか?夕餉の前にこれをラルフに渡そうと思ってな。まだ幾日ばかり早いようだが、待ちきれぬのだ」 
歩きながらそう言って、メンフィスは片手に持っていた小さい箱をキャロルの目の前にかざした。
「それは?」
答える代わりにふっと微笑んで、メンフィスは近くの椅子に腰掛け、我が子を膝の上に座らせた。
傍らにキャロルも膝をつき、二人をそっと見守る。

「さあ開けてみよ、ラルフ。父からのささやかな贈り物ぞ」
小さい箱、と言っても、精巧な彫り物が施された黄金のそれは重く開けにくく、間もなく4つになろうかというばかりの幼子には、なかなかに手のかかる代物でもあった。
キャロルが手助けしようと白い手を伸ばしたが、「自分で開ける!」とばかりにイヤイヤとされた。
そんな仕草が可愛らしく、また頼もしくもあり、若い国王夫妻は揃って目を細めるのであった。

「うわあ!きれい」――ようやく開けた箱の中の物をみてラルフが目を輝かせた。
眩いばかりに輝く筒状の細長い黄金のそれは、ラピスラズリやメノウ、トルコ石などの石が散りばめられ、いくつもの精巧な彫り物が施されている。
箱の模様と揃いの様だ。

「とうさま、これはなあに?」
「ん?これか。これはな」
そう言ってメンフィスは箱からひとつを取り出すと、幼子の柔らかな髪を指で梳き、頬の横あたりの髪へと飾り付けた。
不思議そうな顔で見上げるラルフに笑みを向けると、我が子を抱き上げ自分の方へと向き直させた。
「これは髪飾りだ。このエジプトの、王家の正当な世継である王子の証なのだ。解るか?ラルフ」
よく解らず、首をかしげて父を見上げるラルフ。
「ラルフ!いつも申し聞かせておるであろう?王子とは?そなたは大きくなれば何になるのであったか? ん? 父に申してみよ」
少しばかり威厳に満ちた物言いに変えると、とたんにラルフの表情がキリリとしたものに変わった。

「ぼくは王子です。だから……ファラオになるのです!とうさまみたいなファラオに!」
「そうだ。ラルフ、よくぞ申したぞ」
そう言ってメンフィスは目を細め、自分譲りの漆黒の髪をくしゃっと撫でた。
「そのファラオになる者の証なのだ。解るな?ラルフ」
「はい、とうさま」
こくり、と頷き、幼いながらも威厳に満ち、凛とした碧い瞳で父を誇らしげに見上げて言った。
「ありがとう、とうさま!」
「かあさまにもよく見せて……まあ、よく似合ってるわ、ラルフ」
少し照れたように笑顔を見せる我が子。
笑うと窪むえくぼがキャロルには可愛くてたまらない。
そっとその頬の窪みに口付ける。

「ラルフ、これは父がそなたの歳の頃に付けていたものだ」
「メンフィスが?」――ナフテラへと振り返りながらキャロルが言った。
「ええ……そうでございました……そうでございましたね、メンフィス様」
胸に手を当て懐かしそうにナフテラが頷いている。
「大事にお持ちになっていたのでございますね、メンフィス様」
「いや、それがな……実は忘れておったのだ」
ラルフの髪を撫でながら、メンフィスは少しバツが悪そうな顔になった。

「ナフテラ、そなたも覚えておろうか。幼き頃はこのような物を身に付けるのがまこと嫌でたまらず、幾度となく失くしたなどと偽っては、あちらこちらに隠しておったのを」
「ふふ……そうでございましたね。耳飾りや首飾りもお嫌いになって」
「もっとも、いくら失くしたと言ってもすぐに別の物が用意され、私の悪戯など徒労に終わっていたがな」
やんちゃなメンフィスの姿が容易に浮かんだので、キャロルはぷっと吹き出したくなるのをかみ殺した。

「しかしこの髪飾りは……この髪飾りだけは何があっても失くしてはならぬと父上にいつも仰せつかっていた。亡き母上の形見の宝石を使って父上が作らせた物であったと」
「まあ!元はお母様の形見なのね!?」
そう言ってキャロルはラルフの手の中にある箱からもう一つの髪飾りを取り出した。 
「まあ……なんて綺麗なの」
その言葉にメンフィスはキャロルの手からその髪飾りを取ると、キャロルの髪にも飾り付けてやった。
「かあさま、ぼくとおそろいだー」
そう言ってはしゃぐ我が子を愛しそうに見つめるメンフィスは、ファラオではなく一人の父親の顔だった。
「そのようなお表情(かお)をなさるようになったなんて……」 
ことある事にそう言っては感慨深げに涙ぐむナフテラを困ったようにちらっと見やると、メンフィスは言葉を続けた。

「そのうちにこの髪飾りまでも何処かへやってしまい、そして忘れてしまった。あまりに沢山の隠し場所がありすぎてな。ところがこの髪飾りを失くしたことを父上に知られてしまって、それはもう、こっぴどく叱られた」
思い出したようにメンフィスが苦笑した。
「ああ、そのようなことがおありでしたね、メンフィス様」
懐かしい思い出にナフテラが泣き笑いのような顔になった。

「じゃあメンフィス、思い出したのね? 隠し場所を?」
ふっと笑ってメンフィスが頷いた。
「母上の離れの寝所だ。今は誰も立ち入ることは出来ぬようになっておるが、幼き頃、皆の目を盗んでは時々そこで過ごしていた。女人の部屋というところは何しろ、宝石だの何だの色々と雑多なもので溢れているではないか。父上は母上亡き後もそこをそのままにしておられたから、だからうまく隠せたのであろう」
「でもなぜ急にそんなこと思い出したの?」
「すっかりラルフの髪も伸びてきたのでな。間もなく来る生誕の祝賀の日に飾りを付けてやろうと思いついて、ふっと思い出した」
「まあ、そうだったの。素敵だわ、お母様の形見の物がこうしてこの子に受け継がれて行くなんて。なんて素敵なことなんでしょう」

キャロルは夢見るような瞳で愛しい我が子の髪に触れ、王子の証となるその髪飾りに触れた。

「ラルフ、解るかしらね? これはあなたのおばあさまのものだったのよ」
「おば……あ?」
「そう、おばあさま。とうさまのおかあさまよ。解る?」
「とうさまにもかあさまがいるの?」
「そうよ。みんなおかあさまがいるのよ」
「かあさまにも? かあさまにもいるの?」
「そうよ。もちろんいるわ」
「じゃあ、じゃあ、かあさまのかあさまもぼくの……おばあ…さま?」
「……そうよ。そうよ、ラルフ。あなたは本当に―――」
賢い子――そう言い掛けたキャロルは、うっ、と込み上げてくるものを堪えうつむいた。

ママ……ママ!ママに会いたい。この子をママに会わせたい……会わせてあげたい。
誰の子か解らずにいた、現代での私。あの時ママは泣いていた。
私が不幸な目にあって望みもしない子を授かったのでは?と心配していたの?
ママ、私は……私はあの時、愛する人の子供を身篭っていたのよ。
このメンフィスの……古代エジプトのファラオであるこのメンフィスの子を。

「キャロル?」
「かあさま?」

キャロルの眦に光るものを見つけ、メンフィスは動揺した。

ラルフを産んでからというもの、キャロルは全く家族の話をしなくなった。思い出したようにナイルを見つめて、自分に隠れてこっそりと涙することもなくなった。
ましてやライアンの名を出すことも一度たりともなかった。
母となり強くなったのだと、この腕の中で我が子と共に生きていく事を決心して、あの日再びナイルから自分の元に戻ったのだと、そう信じていた。

もちろんキャロルも同じ思いでいたことは確かだ。
私は21世紀を、家族を捨てたのだ。ここ古代でメンフィスと共に生きていく事を自ら選びとったのだと。
私が家族の話をすれば、兄の名を口にすれば、メンフィスはいつも決まって激昂する。
寂しいと口にすれば「そなたには私がいるではないか」――そう言っていつも悲しそうな目をする。
何処にも行くな……私と共に生きよ―――そうきつく抱きしめながら。

だから忘れようと、たとえ忘れられなくとも忘れた振りをしようと固く心に誓い、この数年メンフィスとラルフとこのエジプトの為だけに生きてきた。
私にとってもその方が楽なのだ、目の前の幸せだけを甘受して生きて行く方が辛い思いをせずにすむ、そう自分に言い聞かせて生きてきたのだ。

それなのに……ああ、それなのに……

「……キャロル、そなた」
「ごめんなさい、メンフィス。大丈夫よ」
キャロルは無理に笑顔を作って涙を拭くとラルフの頭を撫でた。
「かあさま、ぼくのせい?ごめんなさい、かあさま」
「まあ!ラルフ、違うのよ。あなたのせいじゃないのよ」
そう言うとキャロルはメンフィスの膝からラルフを抱き上げ、自分の腕に抱きかかえると頬へ口付けた。

「かあさまね、とってもとっても幸せで、幸せすぎて怖くなってしまったのよ。あまりに幸せだとね、それを失う事が怖くなるの。ふふっ、あなたにはまだ解らないわね」
そう言うとキャロルは自分の髪から先程の髪飾りを外し、メンフィスが付けた方の反対側の髪に飾りつけてやった。

「ね、ナフテラ!そろそろ夕餉のお支度も整った頃じゃないかしら?」
「は、そうでございますわね。わたくしもそろそろ行かなくてはと思っておりました。さあさあ!みんな、あちらへ」
パンパン、と手を叩き、女官達を扉の向こうへと追いやりながら、ナフテラはちらっとこちらを見やるとキャロルの手からラルフをそっと抱き上げた。
「ささ、ラルフさま、お食事の前に湯浴みをいたしましょうね」
「はあい」
「お願いね、ナフテラ」

ナフテラの腕に抱かれ扉を出て行く我が子を笑顔で見送り、ほうっと息をついて立ち上がろうとするキャロルを、褐色の逞しい腕が捉えて膝の上に横向きに座らせた。
「きゃっ!」
「キャロル」
メンフィスの右手が白い顎を捉え、唇を奪う。
「……ん」
一日に幾度となく、それも数年にわたってのこと。もうすっかり慣れたはずのこの唇、口付け。
それが何度口付けられても、いまだキャロルはその度にうっとりとしてしまうのだった。

だがうっとりとメンフィスを見上げたキャロルは、そこに少し怒気を帯びつつも悲しみを滲ませた瞳に出会い、戸惑った。

「……すまぬ」
「え?」
「すまぬと申したのだ、キャロル」
己が悪くとも、決して素直に自分から謝るような人ではなかったのに、何故?
キャロルは驚いて愛しい夫の顔を見つめた。
「どうしてあなたが謝るの?」
「そなた……母御のことを思い出したのであろう?それであのような……」

キャロルは慌てた。
「そ、そりゃそうだけど、でもメンフィス―――」
「そなたにそのようにつらい思いをさせてしまっていたのだと、今更このようなことを申しても許されるものではないが……」
「……メンフィス」
「だが、解るのだ。私とて同じだ。ラルフにあの髪飾りを贈ろうと母上の寝所に入った時、あそこで私は顔も見知らぬ母を想い、会いたいと、そしてあの子を会わせたかったと……不覚にも泣いてしまったのだ。この私がだ」
「メンフィス……」
「叶うわけもないのに」

自分が涙してしまったことなど絶対に言うようなメンフィスではなかったのに。
自分にだけはそんなところも曝け出してくれているのだと、私達は本当に夫婦になったのだと改めて思い、胸が熱くなる。
目の前のメンフィスが滲んで揺れて見えていた。

「……ふ……子を持つと見知らぬ自分に出会い、驚くことばかりだな、キャロル。だが、それも悪くない」
そう言って自嘲気味に笑いながらメンフィスがキャロルを抱きしめる。
「もう4年にもなろうとしているのか……早いものだな」
「ええ……ええそうね。もうじきあの子、4歳になるのね」

キャロルは思い出す。
あの時。
メンフィスを信じられずにナイルに身を委ねたあの日の自分。
あんなに惨めで悲しくて憤りに満ちた気持ちは生まれて初めてだっただろう。
しかし今なら解る。あの出来事があったから、こうして何ものにも代えがたい幸せを手に出来たのかもしれないと。
あの出来事が私を強くしてくれた。メンフィスとの絆をより強いものにしてくれたのだと。

「そなたに感謝しておるのだ。よくぞ戻ってきてくれた。私にあの子を与えてくれた」
幾度となく聞いた夫からの謝辞。
その度にキャロルはなんだか無理やりにメンフィスの口からそう言わせているかのような気になり、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
だから何も言わず、自分からメンフィスの唇を求め口付けた。

「愛してる」
もう一度見つめ合い、熱い口付けを交わす。

いいの。きっとママは解ってくれてる。
私が心から愛する人と出会い、愛し合って子供を授かったんだって。

パパとママが愛し合って私達が生まれたように。
だって私はパパとママの子よ? 愛し合う、仲の良い二人を見て育ったのよ?
いつまでも、何処にいても、私はパパとママの子よ。



どれくらいそうしていたのだろう。
二人は何度も何度も抱きあい口付けを交わし、見詰め合っては微笑み合っていた。
高まってゆく気持ちを感じながらもキャロルは扉の向こうのかすかな足音に気が付いていた。

「……メンフィス様、キャロル様。夕餉の支度が整ってございます。殿下も席にお着きでございますれば、どうぞお越しくださいませ」
遠慮がちな女官の声。
 
「おお、すぐに参ろうぞ」
口では扉の向こうにそう答えつつも、メンフィスの手はしっかりとキャロルの体を愛し始めていた。

「もう!ダメよ、メンフィスったら!」
「……」
「あ……だっ、だめだったら! あ……もう!」
「よい!しばし待たせておけ」
「だーめ!ラルフが待ってるのよ?」
「む……」

仕方ない、と言う風にメンフィスは苦虫を噛み潰したような顔で手を止めた。
まったくこの人は。
父親になっても、私の前では聞き分けの無い子供みたいなんだから。

くすくす笑いながら、キャロルはすくっと立ち上がるとメンフィスに両手を伸ばした。
そんなキャロルに憮然としたままの顔で自らの手を預け、立ち上がるメンフィス。

「ふん、まあよいわ。続きは今宵しっかとさせて貰うぞ。 ん?」
やっぱりいつものメンフィスだわ、と思う間もなく、キャロルは逞しい腕に抱き上げられていた。

「ちょ、ちょっと!メンフィス!」
「さあ急がねばラルフが機嫌を損ねてしまうぞ! さすればそなた、あやつと添い寝するのであろう?いつものように」
「えっと……それは……」
「それだけはさせぬぞ!さあ急がねば!しっかりつかまって参れ」
「きゃあ!」

愛しい妃を抱き上げたまま背中で扉を押し開く。
勇猛で知られるファラオの愉快そうに笑う声が、誰もいなくなった王妃の部屋にこだましていた。


その夜、王が無事に妃をその腕に抱(いだ)くことが出来たかどうかは、神のみぞ知る。






ひとことメモ

 記念すべき王家二次初作品。いやほんとひどい文章ですねw
 このお話が次の「Home Sweet Home」へと繋がります。よろしければそちらもどうぞ。