Home Sweet Home


*注意書き

 ・キャロさんが旦那はんと息子ちゃん連れて現代のリード家に里帰り
 ・どうやって帰ってこれたのか、なぜ会話が成り立つのか、などツッコミどころ満載
 ・ロディ兄さんはマリアと結婚して娘がいる設定



Home Sweet Home


1.


―――現代のエジプト首都カイロ―――


その日、リード家ではいつもと同じように、遅めのゆったりとした休日の朝を迎えていた。
リード家では、休日には朝食と昼食を兼ねたブランチをゆっくりと摂る習慣になっていた。
ばあや自慢のパンとアップルパイを焼く匂いに釣られるように、一人、一人とダイニングテーブルに集まって来る。

「おはよう、ママ」
「おはよう、ロディ。ジュリア、おはよう」
「グランマー!おはよう!」
ジュリア、と呼ばれた小さい女の子がリード夫人に飛びつくと、リード夫人はその子の頬にキスをして、くるくるっとした淡い亜麻色の巻き毛を撫でた。
「ジュリア、昨夜はよく眠れた? 怖い夢なんか見なかったかしら?」
「ええグランマ!」

「おはようございます、お義母さま」
「あら、おはよう、マリア―――まあ! いいのよ、あなたがそんなことしなくても。昨日ここへ帰ってきたばかりで疲れているのだから」
「あら、紅茶を用意しただけですよ。それに私、ばあやさんの焼くアップルパイをいい加減どうしても習得したくって。だってアメリカに帰った時もジュリアが食べたいって言うから作ったのに、私のじゃダメだって」
「まあ」
そういって肩をすくめて苦笑するマリアに笑みを返し、リード夫人は可愛い孫娘を抱き上げ膝の上に乗せた。

「さあさ、みなさん、マリアさんと私の自慢のアップルパイですよ。たんと召し上がって下さいな」
ばあやが大きなトレーにパイやクロワッサン、色とりどりのフルーツやサラダを乗せて、いつもの様に大きな声で部屋に入ってくる。
「うわぁ!おいししょうー! マムがちゅくったのー?」
「ばあやさんと一緒にね。今日のはジュリアも気に入ってくれると思うわよ。さあ、取ってあげるわ、ジュリア」

――――そんな他愛もない休日の食卓の風景だった。

ここ二週間程、祖国アメリカへ帰国していた息子夫婦と可愛い孫娘との久しぶりの時間は、夫人の乾いた心を癒すべく、優しく過ぎていく。
「どうジュリア、おいしいでしょ?」
マリアがどうだ、と言わんばかりにジュリアにウィンクする。
「うん!おいしい!」
こくりと頷き邪気の無い幸せそうな笑顔を見せるジュリアに、リード夫人はほうっと小さなため息をついた。
母の焼いたパイと大好きなアイスクリームを、口の周りをベタベタにしながら頬張る愛くるしい孫娘。
その姿は、目の前から消えてしまった最愛の娘の小さい頃の姿に重なり、いつも夫人の心をぎゅっと締め付けた。
……ああ……あの子もこうして、大好きなばあやのパイを食べていたわね。
同じように口の周りを汚して。
知らぬ間に、その美しい空色の瞳に翳りが宿った。

「ママ、昨夜もよく寝てないんじゃないのかい? まさかまたキャロルの夢を見て……」
「いいえ、大丈夫よ。昨夜は本当によく眠れたのよ」
ハッとした様にジュリアから目線をロディに向けると、リード夫人は微笑んで紅茶のカップをその薔薇色の唇へと運んだ。

まただ。
歪んだ微笑を隠すかのような母のその仕草を目にするたびに、ロディの胸はざわめき、ちくりと痛む。
「ふうん、それならいいんだ」
しかしロディは、わざとそっけなく言って、紅茶を口に運んだ。

いいえ、ロディ、あなたの言うとおり。私はまたキャロルの夢を見たの。
いつものあの不思議な夢だった。
あの子が誰かを連れて私の元へ、ここへ帰って来る、あの夢だったのよ。

夫人は今にもそう打ち明けたい気持ちをぐっと呑み込み、膝上のジュリアの巻き毛をそっと撫でた。

「―――そう言えば兄さんは今日シリアから帰って来れるんだっけ?」
「ええ、その予定よ。まあ、予定通りにいくのか、当てにならないけれど」
「ははっ、兄さんは仕事の鬼だからな。あ、そうだ、マリア、午後はどこへ出掛けるんだったっけ?」

心の内を隠して気丈に振舞おうとする母に気付かぬ振りをして、いつも何か違う話題を振る癖がついた。
心配すればするほど、心配掛けまいと母が心を砕くのを見ていることが出来なかったからだ。
二人の兄弟はすっかり体の弱くなってしまった母を何度もアメリカに連れて帰ろうとした。
この国は、エジプトの気候は、体の弱った母には過酷すぎる。
そして、愛する夫を失い、その夫の遺した愛する一人娘が忽然と姿を消してしまったこの地、エジプト。
そんな忌々しい思い出しか無いこの国にもうこれ以上、この母を置いておきたくはなかった。

しかしその度に母は嫌だと言って、首を縦には振ろうとしなかった。
あの子がいつでも帰って来れるように。この胸にいつでも抱きしめることが出来るように。
そのために、ここエジプトに留まりたいと。
このエジプトに執着しアメリカに帰ることを頑なに拒んだ、あの日のキャロルの様に。
だから、忙しいライアンの代わりに自分がエジプトに留まり、母を支えていこうとロディが決めたのは必然であった。


「―――ジュリア?  まあ、こんなに汚して」
マリアがナプキンでジュリアの口を拭ったその時。

ジリリリリ……!
―――突然、玄関のベルが鳴り響いた。

「誰かしら?休日のこんな時間に?」
「ライアンさまかもしれませんね。私が出ますよ」
ばあやが紅茶のおかわりのポットをテーブルに置いて玄関へ向かった。
「まあまあ、鍵をお忘れになったんでしょうかねえ」
呟きながらよっこらしょ、とドアを開け、廊下に出て玄関へ急ぐ。
太めの体には少々息が上がってしまうほどの長い距離。玄関へ着く頃にはすっかり汗ばんでしまっていた。

再びジリリリリ……とベルが鳴る。

「はいはい、何回も押さなくても今開けますよ」
ぶつぶつと独り言をいいながらやっとドアまでたどり着く。

「どちら様で?」
「――――」
「?  どちら様でしょう?」
「……あや……ばあや」
「はぁ?」
「ばあや……わたし、わたしよ」

聞き覚えのある可愛らしい声。
でも……まさか……?
この声は……!?

急にバクバクと心臓が波打ち、ドアを開くばあやの手がブルブルと震えた。

おそるおそる開いたドアの向こうには……!?


「キャ……キャロルさんっ!?」
「ばあやー!」

突然胸に飛び込んできたキャロルにおっとっと、とよろけながら、ばあやは夢でも見るかの様にキャロルを見上げた。

「まっ……まあ!まあまあまあ!何てことでしょう! お、奥様!奥様ぁー!キャ、キャロルさんが―――」





「―――え? ママ、今ばあやがキャロル、って言わなかった?」

雷に打たれたようにロディを見つめ返し、リード夫人はおろおろと立ち上がった。
マリアがすかさずジュリアを抱きかかえ、夫人もロディもマリアも、朝食を放り投げると玄関へ走った。

何ですって? あの子が……キャロルが? 帰って来た!?
夢の通りに、帰ってきたと言うの?
本当に?
おお!神様……!

その時。
リード夫人の目に、エントランスで抱き合う二人の姿が飛び込んできた。

「あ……」
「キャロル……」
「ママー!」
「キャロル!」

トーガの裾が風に舞う。 
「キャロル!キャロルっ!ああ……」
「ママ!」
「どれだけ心配したか……どれだけ心配したか! ママは……ママは……ああ、キャロル!」
「ごめんなさい……ごめんなさいママ! 会いたかった……会いたかった!」

抱き合い、頬に髪に口付け、リード夫人は泣きながらしっかりと何度も何度も愛しい娘を抱きしめた。

「今まで何処にいたんだ」
「ロディ兄さん」
「お前っ!心配したぞ!キャロル」
泣きながらロディはキャロルを抱きしめ、頬へ口付けた。
「ごめんなさい。心配かけて……ごめんなさい」
「ああ、キャロル!無事で良かった!」
抱き合い喜ぶ兄と妹のその姿に、ドアの向こうでピクッと跳ね上がる麗しい眉目に気付く者はまだ無く。

「キャロル」
「!? マ、マリア!? マリアじゃないの! どうしてここに? ……えっ? その子は?」
「キャロル、私ね、ロディと結婚したの。この子は娘のジュリア」
「ええっ!? そ、そうだったの?」 
知らぬ間の兄と親友の結婚の事実に目を白黒させて、驚き歓声を揚げ、親友と抱き合い喜び合った。
すぐさま自分を見上げる巻き毛の少女に目を落とす。
「こんにちわ、ジュリア。はじめまして。パパの妹のキャロルよ」
ぽかーんと大きな口を開けて自分を見上げるジュリアの頬を優しく撫でる。

嵐のような歓びと驚愕と抱擁の中で、ロディは殺気のようなものを感じてふっとドアの外を見回した。
「!!?」

黒い瞳と視線がぶつかり、うっ!と言葉を失った。
だ、誰だ? この鋭い眼光、すさまじいオーラ……何と美しい、お……男?
え? 男なのか? ま、まさか!
まさか、キャロルの!?


「キャ、キャロル、あの……こちらは……」
「あ……」

うろたえるロディの様子に、ドアの向こうへ目を向けるリード夫人が見たものは!?


ゆっくりとトーガのフードを取り去ると現れた、癖のない漆黒の長い髪。
鋭い黒曜石のような深い瞳。すっと通った鼻筋にキッと結ばれた形良い唇。
この世の者とは到底思えぬ、壮絶ですらある美しい長身の青年と、少し怯えたように青年の後からこちらを覗く、小さな男の子。
同じ漆黒の髪に、碧眼の。

目の前に突然現れた奇跡のような美しい青年に全員が目を奪われ、言葉を失った。
そんな家族の姿に、意を決したようにキャロルは青年の傍に立ち、ゆっくりと言葉をつないだ。

「ママ、ロディ兄さん、ばあや、マリア……紹介するわ。私の夫、メンフィスと、息子のラルフよ」
「な、なんですって?」
「お……夫?」
「お……」

「メンフィス、こちら私の―――」
「―――キャロルの母上であらせられるか?」
キャロルの言葉を待たずにメンフィスがリード夫人の前に歩み寄り、胸に手を当て跪いた。
「え、ええ。そうです」
まるで女人の様な美しさからは想像も出来ない、低く威厳に満ちた声の迫力に押され、思わずリード夫人は後ずさった。

「これはこれはお美しい母上殿であらせられる。お目にかかれて恐悦至極にござりまする」
「あ……」
「我はキャロルの夫、名をメンフィスと申しまする。是非お見知り於かれて下さるよう」
メンフィスはリード夫人の手を取り、跪いたままその甲に口付けた。
「あっ……あのっ」
初めて出会う美しい青年に跪かれ手に口付けを受けるという、まるで古典劇の中のプロポーズのような何ともドラマチックな自己紹介に圧倒され、言葉を失い戸惑いながらも、思わず頬を赤らめてしまうキャロルの母であった。

「この度は突然の来訪、お許し下さいます様。これなるは我等が息子、ラルフにござる。さあラルフ、これへ」
後ろに隠れるラルフに振り返り、手を差し伸べながら、メンフィスは厳しくも愛情に満ちた瞳で頷いた。

「はいっ、ちちうえ」
意を決したようにラルフは父の手を取りおずおずとリード夫人の前に進むと、父と同じように胸に手を当て跪いた。

「はじめておめにかかります、おばあさま! わが名はラルフ、よわい4つにございます!
おばあさまにおかれましては、ごきげんうるわしくとおみうけし、まこと『きえつしごく』にございます」

子供らしからぬ凛とした態度でそう言うと、ラルフは父と同じようにリード夫人の手を取ろうと腕を伸ばした。
上背の届かぬラルフを気遣い、無意識に膝を突くリード夫人。

「このラルフ、ひとたびおばあさまにあいまみえんとねがい、ちち・ははとともにまいりました。どうぞおみしりおきくださいませ、おばあさま」
そう言いながらラルフが愛らしい小さい唇を白い手の甲に口付けた。

「まっ、まあ……なんという……」
まだ4つの子供とは思えぬ挨拶に夫人は戸惑いながらも、自分を見上げる少年の碧い瞳を吸い込まれるように覗き込み、その小さな手を握り返した。
「ラルフ……と言ったわね? 私はどうやらあなたの……おばあちゃんなのね。こちらこそ初めまして、ラルフ。 まあ、まだこんなに小っちゃいのに。なんて、なんて立派なご挨拶でしょう。おばあちゃまとっても感激したわ。よく来てくれたわね。ようこそラルフ! ようこそ、メンフィスさん」
「これはこれは。お優しき歓迎のお言葉。心より痛み入り申す」
再び夫人の白い手を取るメンフィス。

「キャ、キャロル!あのっ」
良く似ておられるな。
美しい二人に跪かれ、真っ赤になりキャロルに救いを求める母の姿が、人前で唇を寄せると恥ずかしがり慌てるキャロルの姿と重なり、メンフィスは思わず口元を綻ばせた。

「さ、二人とも、挨拶はそれくらいにして。ママが困っているみたい」
キャロルはふふっと笑いながら母の手を取りそっと立ち上がらせようとした。
「あ……」
「ママ!」
「母上殿!」
一瞬ふらつき倒れそうになるリード夫人を思わずメンフィスが抱きとめる。
「ママ!しっかりして!」
「あ……だ、大丈夫……大丈夫よ。嫌だわ、私ったら」
メンフィスに抱きとめられ、夫人は再び真っ赤になってうろたえた。
「突然のことにびっくりして……ごめんなさいね」
「いや、構いませぬ。大事なく良かった」

「メンフィスさんとおっしゃったね?」
「これは……ロディ殿、であったかな?」
「ええ、すぐ上の兄のロディです。よろしく」
手を差し出すロディに訝しげな顔をするメンフィス。
「あ、メンフィス、教えたでしょ?こうやって応えるのよ」
メンフィスの手を取り、ロディの手と握手をさせるキャロル。
「……メンフィスと申す。見知り於かれよ」
む!この男。
母に対する態度に比べ、些か高圧的な物言いに少しカチンと来ながらも、常人らしからぬ威厳ある風格、一つ一つの所作の美しさにロディは圧倒されていた。


「メンフィス、こちらはロディ兄さんの奥さんよ、私の親友マリア」
「は、初めまして!マリアと言います!」
緊張しているのか、マリアの声が上擦った。
「マリア殿と申されるか。我はメンフィスと申す者。見知り於き下され」
握手しようと思わず差し出したマリアの手を取り、甲に口付けると、今度はロディの眉がピクッと上がった。

「こちらのなんとも可愛らしき姫君は、確かジュリアどの、とおっしゃったかな?」
「ええ、そうです。さ、ジュリア、ご挨拶なさい」
「そのように怖がらずともよいぞ、ジュリア姫よ」
ポカーンと自分を見上げるヘイゼルグリーンの瞳にメンフィスは優しく微笑むと、その小さな手を取りそっと口付けた。

「あ、メンフィス、あとこちらは、我が家のばあやよ」
「まあまあ!なんとまあご立派な!なんて男前のだんな様に可愛い坊ちゃんなんでしょ、キャロルさん」
「ばあや殿か。メンフィスと申す。お見知り於かれよ」
「あたしはね、この家で長いこと使っていただいてます、ローズと言いますのよ。どうぞよろしくお願いしますね。んまあ〜!この歳になってこんな風に手にキスしてもらえるなんてねえ。奥様、あたしゃほんっとにアメリカに帰らなくて良かったと思いますよ」
すっかりぽーっとなってメンフィスの手を握り返し、ポンポンとその手を軽く叩くばあやに一瞬キャロルは慌てたが、それほどメンフィスも嫌な素振りを見せていないのを見てほっとした。
知らぬこととは言え、古代ではファラオであるメンフィスにそんな態度は許されないものなのだが。
何しろこのばあやときたら怖いもの知らずで、誰それ構わず叱り飛ばす肝っ玉の持ち主なのを思い出してキャロルは冷や冷やした。


「と、とにかく、中でゆっくりお話しましょう」
夫人の声に促されるように、一人、また一人、と家の中へと入って行く。
「ばあや、サロンにお茶を用意してちょうだい。
あとそれからロディ、ライアンに連絡を」

憎い宿敵・ライアンの名を聞き、一瞬メンフィスは体を強張らせた。
悟られないように目を伏せると、キャロルのトーガの裾を掴み母を見上げるラルフの姿が目に入る。
「かあさ……ははうえ」
「ラルフ、立派にご挨拶できたわね」
ラルフを抱き上げ頬を寄せると、ラルフの頬に可愛らしいえくぼが浮かぶ。

誇らしげに父へと振り返るラルフに笑みを返しながらも、メンフィスのその目は愛情と厳しさに満ち溢れていた。
「まだ幼きとは言え、そなたは一国の世継ぎたる王子。あれしきの挨拶が出来なくば何とする」
「はい、ちちうえ」
「だが、なかなかに立派であったぞ。褒めて遣わそう」
今度はその瞳に優しさを漂わせ、自分譲りの黒髪を撫でる。
「もうよいぞ、ラルフ。さあ、ゆるりといたすがよい」
父の「ゆるりといたせ」という言葉、それは王子の顔からの開放を意味していた。
メンフィスはまだまだ幼いラルフにそういう時間を許していたのだった。 
その言葉にラルフは嬉しそうにキャロルの腕から降りると、好奇心いっぱいの4歳の子供に戻って、初めて目にする物で溢れるエントランスの中を走り回った。
物を壊したりしないかと目でラルフを追いながらも、メンフィスも生まれて初めて見る現代の邸宅をきょろきょろと窺っていた。

「さあ、キャロル、みんな、早くこっちにいらっしゃい」
柔らかな夫人の声が心地よく3人の耳に届いた。







ひとことメモ

 何が何やらw